ホームレスから信仰へ

私は聖霊に出会ったのかもしれないと現在は思っています。私は導かれるように一気にホームレス界へ来てしまったのでした。その24時間前にはホームレス界へ来ることも、そして、そこがどういうところかということも考えたことがありませんでした。

私の人生は縁を切ることを繰り返していたという気がします。

ホームレス界へ電撃的に来たものの、当時の私が感じていたのは死意外にはなく、それも派手な潔さのないみすぼらしい死です。

突然襲ってくる空腹感。腹に力を込め耐えていると、意外なほど早くあっさりとそれは去っていきました。四六時中それの繰り返しでした。このままいけば苦しまずに餓死できるのではないかという意識が強まってきました。

当時の私が思っていたのは自殺をすることではありません。運命に殺されてやろうということです。空腹感も襲ってこなくなり、鏡で顔を見ると、やつれているどころか、生命が満ち溢れていました。食べ物を口にしなくなって8日間が過ぎていました。

空腹感は耐えていましたが、日没後の寒さには薄着だった私は耐えられず、一晩中歩いていました。かなりの運動量だったと思います。しかし鏡で見た顔はとてもそのようには見えませんでした。

餓死に向けて生き生きと気力を充実して満ちていた私に対して、つまり人生の幕引きをプロデュースしていた私に対して、何者かが試みをしてきました。食べ物を見せ付けてきたということです。

主イエス・キリストは40日にも及ぶ断食をしている際、誘惑という悪魔が現われたとき、「人はパンだけで生きるのものではない。神のみ言葉によって生きるのだ。」と退けたことを学びました。

断食をしていた日数とその時に発した言葉からも、主イエス・キリストと私では月とすっぽんですが、「パンだけで生きるものではない」ということは理解できるような気がします。

食べ物を見せ付けられた私は長い時間考え込みました。空腹だから食べたいということではなく、今これを食べると今までの努力はどうなるのか、またこれを食べてしまったら最後、今度は空腹感に耐えられず、気力を保持できず、格好悪くのた打ち回って餓死していくのではないか、という傷を負いたくない思いが、空腹から解放されたいという念を凌駕したからです。

わたしは、「みっともなく苦しむことはないか」と何者かにたずねました。相手は言葉を発することはありませんでした。しかし、はっきりとその回答を私にしました。

現在そのことを考えると、私が対して空腹感に襲われなかったのも顔がやつれていなかったのも、気力が損なわれていなかったのも、神が私の代わりに苦しんでくれていたからだと断定しています。そして、希望を捨ててはだめだぞ、と、私の変わりに祈ってくれていたのではないかと思います。

当時に戻りますが、私はその回答を受け入れて、食べ物を口にしました。その後、毎日回答したとおりのことが続きました。他者から提供されたり盗みをしたりするという選択肢が全くない私に対して、回答した約束を守り続けてきました。

空腹感はなくなりましたが、睡眠不測はついてまわりました。ある夜、ある場所を歩いていると闇の中にいろいろな色彩の明かりが見えました。まるで別世界にいるような不思議な感覚でした。近づいてみると、それは雪だるまの飾りでした。

その数日後、わたしに、寝る場所があるという話しがありました。その場所はあの雪だるまの飾りの隣ということでした。私はその場所が教会であることを知りました。私は教会については何も知りませんでしたので、教会の隣に住むことができるものだろうかと考えました。

しかし、夜の闇に様々な色彩で光る雪だるまの飾りは、私という人間の狭い思いを吹き飛ばしてくれました。

教会の隣に住むようになっても、住んでいることが露見しないように、朝は日照前に出て、暗くなってから戻るということを繰り返していました。ある夜戻ってくると、新品の布団が置かれていました、私は体験したことがない衝撃を受けました。
ホームレスになってもう別世界のことと思っていたクリスマスプレゼントにより、わたしは、安眠を手にすることができました。

そして教会の隣に住んでいることを隠さず、堂々としようと決心しました。

わたしは床、屋根、ドアなどを作りはじめました。周辺の美化活動を行うようになり、近隣住民とも話をするようになりました。

私を助けてもらったので、少しでも他者の役に立つようにしよう、そのように思っていました。

教会には炊き出しでは顔を出していましたが、隣に住んでいることを知らせていたのは牧師夫人だけで、教会の人が庭にいるときには、すんでいることがばれなよう気を使っていました。要するに近隣にはオープンにしていましたが、教会からは隠れていました。

やがてわたしは教会で行われた礼拝に日ごろ着ない服を着て出席しました。紹介と歓迎のプログラムになると、炊き出しのときに見ている人たちを避けながら、うろうろしていました。その翌週と翌々週に他の教会での仕事で欠席しましたが、以後は毎週主日礼拝に出席するようになりました。

この機会に聖書を勉強しよう。創世記でアブラハム、イサク、ヤコブ、と進んでいきました。なにやらいつも息子兄弟たちの中でいじめられている人がいるというストーリーが何代も繰り返されていることに対し、本当に神さまの話なのかと思いました。そしてヨセフが兄たちによって奴隷商人に売られてエジプトに連れて行かれる話を聞きました。なにやら私と似ているような似ていないような話の展開に興味が加速しました。ヨセフは自分の運命を神にゆだねきっていると感じました。しかしできることを懸命に努力していることも感じました。

ヨセフは奴隷として連れてこられたエジプトで宰相にまでなってしまいました。神様の業を聖書で始めて感じました。7年の豊作の後に訪れた7年の災難のひとつにかえるの発生というシーンが紹介された折、私の居住地も水浸しになり、帰るがゲコゲコないていました。

出エジプト記の中の、近代の奴隷よりもずっと安定した生活をしていた、エジプトにいたイスラエルの民が、自分たちの意思でその生活を捨てたという話を聞き、今度は全くその通だと思いました。やはり、「人はパンのみで生きるものではない」と思いました。

ヨセフは単身であり成功しましたが、たくさんの民を連れて行かねばならないモーセに同情しました。十戒の書かれた石をたたきつけた気持ちも分かるような気がしました。おりしも教会は庭整備に伴い、病院から石を運びました。私自身の生活と欲にたことがリアルタイムで紹介される聖書に対し、さらに親密度が増しました。

そして聖書の紹介箇所が新約聖書へと移りました。

そこでは似ているとか同情するとかという次元とはかけ離れた対象が紹介されていました。

私は頭から水をかけられたような衝撃を受けました。

もちろん名前を知っていました。教会が何を信仰しているところかも知っていました。彼の誕生日がなんと呼ばれているのかも知っていました。絵画でその姿がどのように描かれているかも知っていました。

しかし私はそのことについて何も分かっていなかったのでした。主日礼拝に出席するようになって半年も経っていたのに、何もわかっていなかったのでした。

すごい!!

それしかありませんでした。そんなことをする人なんていない。神様なんてレベルではない。とても人間じゃあない、ということはやっぱり神様か、と今まで考えていた神様のイメージが崩されていきました。

何に衝撃を受けたか。

その当時に生きていた人たち、その後に生まれてくる全世界の人たちの罪が赦されるために、回避しようと思えばいくらでもできたはずなのに十字架にかかったということに対してです。

ここまでが主イエス・キリストに対する信仰の経緯であります。しかし、私自身が信仰を持ったとしても教会とは一線を引くということが、感覚的には当たり前になっていました。何を言っても支援団体とその支援を受けている者の関係であります。

あるとき牧師から「バプテスマを受ける気はないですか」といわれました。

その時私はどのような表情をしたのかもどのように回答したのかも全く覚えていません。ただわかることは平常心ではなかったということです。わたしは牧師にブログを読むようになりました。ホームに迎え入れられた者は次にホームとして迎える、ゲストからホストへ、とか書かれていました。

私は教会の中で隠れるのをやめて、交わりを持って公然とさらし者になろうと決めました。本日は教会で生きることを宣言しようと思います。

Tさん

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