出会いから始まる

相模中央キリスト教会は、2006年の5月に青少年の伝道隊を京都教会に送りました。京都ではONE VOICEという青少年の聖歌隊がコンサートと礼拝で賛美をし、また京都教会が取り組んでいるホームレス支援活動の炊き出しにも参加しました。この京都での経験がきっかけとなって私は、教会のある大和市の隣の相模原市で教団の教会が12年にわたって取り組んでいるホームレスパトロールにも参加するようになりました。しかし最初から私はホームレスの方に普通に接して、話しをすることが出来た訳ではなかったのです。

京都伝道旅行に備えて準備をしていた同年2月のある休みの日に子どもたち3人を連れて自宅の近くの公園に遊びに行きました。そこには小さな東屋があり、一人のホームレスの方が夜そこを寝る場所にしていたのです。そのことを知ってはいましたが、遊んでいるときにはその方はいなかったので、気にも留めないでいました。しかし夕方になり、いざ家へ帰ろうという時になってその方が自転車を押しながら公園に帰ってきたのです。私見て見ぬ振り。(牧師なのに!)そんな私に当時小学1年生の長男が聞きます。「あの人ホームレス?」私「そうだよ」長男「ねえ声かけないの?」私「・・・。一希がかけたら?」長男「やだよパパがかけて。ねえ声かけないの?」「今日はいいの!」(何がいいんだ!)そしてなるべくその人を見ないようにして家に帰ったのです。自転車をこぎ、顔から火が出るような恥ずかしさに包まれながらものすごい自己嫌悪に陥りました。

知らないことは恐ろしいと思いました。京都教会の支援活動のことは知っていましたし、これまでにもホームレスに関することは様々な形で「勉強」したつもりではいました。しかし自分の奥底に、どこか「ホームレスは怖い人」という思いが巣くっていたのです。そして目の前にいて、子どもでさえ気にしているやさしそうなおじさんにさえ声をかけられなかったのです。そんな私に、教会の青年から相模原で行われているホームレス支援のパトロールに参加しないかという誘いがかかります。恐る恐る参加したのですが、行ってみて拍子抜けしました。公園で暮らしているホームレスの方々は、自分たちと何ら変わることのない「普通の」人たちでした。自分の持っていた思いこみが見る見る溶かされていくのが分かりました。同じことは京都でも経験します。教会でお話ししたり、一緒におにぎりを握った現役のホームレスの方。そして市役所前で出会った方々。みんなやさしい笑顔をもったすてきなおっちゃん達でした。

これらのことを通して、私の中に「ほっとけない」という思いが起こされます。どうして彼らがホームレスの状況に押しやられるようになったかを知ると、そこには彼らだけの責任ではなく、彼らをそこに押しやった社会の冷たさが見えるからです。そして彼らをそこに押しやっている一人として、いえもっと根本的に、神様から命をいただいている同じ人間同士、助け合えないかと思い始めました。その後、自宅近くの公園で暮らすおじさんに会いに行きました。小柄で話し好きな優しいおじさんでした。自分で拾ったという色々なものを初対面の私に見せてくれました。今ではそのおじさんの所に2週間に一回の割合で訪ねていっています。

自分の小ささに出会うことから始まったこの歩み。まだ自分に何が出来るのか分からないことだらけです。まずはそこにいる方の声に耳を傾けてみたいと思います。いつかこれが教会の働きになったら良いなと夢見ながら。

相模中央キリスト教会 牧師 麦野達一

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