皆さんは「ホームレス」と呼ばれる人々のことを知っていますか。「様々な理由により定まった住居を持たない人々(路上生活者)、公共施設・河原・架橋の下などを起居の場所とし日常生活を営んでいる野宿者のこと。」これがホームレスです。現在たいへん大きな経済危機が世界全体を襲っています。日本でも一気にホームレスの数は急増してしまいました。そのためテレビのニュースなどでもホームレスについて取り上げることが多くなりました。しかし、現在の世界恐慌が起こる随分前から、ホームレスは沢山日本に存在していたのです。
日本で最もホームレスの数が多い大阪に住んでいる人々はホームレスのことをどのように思っているのでしょうか。小玉徹著「ホームレス問題 何が問われているのか」では大阪市民に、ホームレスに関する二十個のイメージ項目を提示したアンケートを行っていました。特に多かった項目は「不健康」「汚い」などで七割、次に「怠け者」「無気力」「孤独」「怖い」などが続きます。更に「野宿者が野宿に至ったのは何が原因だと思いますか。」という設問に対しては、大多数が「不景気で仕事がないから」と回答しつつも、その後には「働くのがいやだから」「本人が望んだから」などが続きます。全体的に悪いイメージが多いということになります。
私が中学生だった頃の話です。友達と河原で遊んでいて、ふと気がつくと彼女は小さな小屋のようなものを壊していました。それがホームレスの小屋だと思ったそうです。私は彼女の行動がとてもショックでした。一般的に考えて、人の家を壊すのはとてもひどい行為です。しかし彼女は、自分が悪いことをしているとは全く思っていない様子でした。
しかし、果たして私達はホームレスの人々のことをどこまで知っているのでしょうか。どのような生活をしているのか、知らない人が多いと思います。では何故、何も知らない私達がホームレスを差別してしまうのでしょうか。そのことについて述べたいと思います。
厚生労働省の調査(二〇〇一年九月末)によれば、全国のホームレスは二万四〇九〇人、京都市には二〇〇〇年六月の時点で四九二人いると言われています。しかし近年急激に景気が悪化していることを考えると、その数は大幅に増えていると考えていいでしょう。その多くは橋の下や商店街、駅等に暮らしています。商店街や駅は夜中の人のいない時にしか居ることができないので、昼間は常に歩き続けなければいけない人もいます。また逆に、眠って凍死してしまう事態を避けるため、夜に移動し続ける人もいます。
職業は基本的にはありませんが、業者が買い取ってくれるごみ(空き缶など)を拾い集めて、生活費を稼いでいる人がほとんどです。食料は稼いだお金で食べ物を買ったり、或いは支援団体などが実施する「炊き出し」などに行ったりします。また衣料も寄付されたものを着たりします。
次にどのような経緯でホームレスになるのかということについて述べたいと思います。皆さんの中には、ホームレスが貧しいのは自業自得だと思っている人がいるかもしれません。しかしこれは大きな間違いです。冒頭でも述べましたが、現在は世界的な不景気です。所謂「派遣切り(派遣社員の大規模な契約打ち切りとそれに伴う解雇)」にあい、職を失い寮からも出されてしまう人が沢山います。今でこそ、そのようなリストラが問題視されていますが、いつの時代も、ホームレスはこのようにして生まれてしまいます。もし皆さんがまだ職についていない人なら「絶対に派遣社員にならない」という確証はありますか。自分の職を持っている人なら「絶対に職を失わない」という確証はありますか。日本中の誰もがホームレスになる可能性があるのです。「自業自得だ」とはとても言えません。
多くの人は一度ホームレスになると、なかなか新たな職につけないという現状があります。それは何故でしょうか。それはホームレス生活の過酷さが物語っています。まず住所がなくなります。履歴書の住所欄が埋まりません。多くの企業は住所のない人は雇わないそうです。よって就職が非常に難しくなります。次に体力がなくなります。なぜなら満足に食べることができず、過酷な気温の中で布団で眠ることもままならないため、体が休まらないからです。そうなると、仕事をしようにも満足に体が動きません。今回は情報収集のために、長年ホームレス支援の活動に携わっている、日本バプテスト京都教会の大谷信基牧師にご協力いただきました。彼は政府が、過酷な生活を送っているホームレスに対してほぼ何の対策もしていないとおっしゃっていました。
ホームレスの人々は時として教会等にやって来ます。ホームレス支援特別委員会による「ホームレス支援に関するアンケート報告」によると、「教会にホームレスが訪ねてきたことがありますか」という質問に対して、七二・四%の教会が「はい」と答えました。私が通っている日本バプテスト京都教会にもホームレスの方が来られています。私の考えでは、やはり教会等を訪れる一番のメリットは「人間関係が広がる」ことだと思います。ホームレス同士の繋がりは地域によって様々です。お互いに助け合って生活している地域もあれば、あまり関わりを持たない地域もあります。だからこそホームレスの人々は「横のつながり」を求めて教会等を訪れるのではないでしょうか。そのような面から見ると教会等の施設は政府や市役所よりも役割を果たしていると言えます。
よくホームレスの人々を指して言われるのは「ホームレスは暴力的で何をするかわからない」という言葉です。ずっと昔から様々な差別が存在します。被差別部落、外国人、そして今度はホームレスの人々が差別の対象になってしまいました。そのような差別をする時、差別する側の人々はたいていこう言います。「あの人たちは暴力的で何をされるかわからない。」つまりこれは真っ赤な嘘です。よく言われることですが、人は人を差別したくなります。そうして自分を安心させるのです。そしてただ、差別の口実が欲しいがために嘘をつくのです。
そうした差別のほとんどが学校教育やメディアから生まれます。皆さんはホームレスの人たちが言われのない暴力を受けている事実をどれだけ知っていますか。学校は、被差別部落などの過去に起こった差別や外国で起こった差別などは教えることができても、今現在実際に起こっている差別に向き合っているとは言えません。しかし実際は多くの貧しい人々が苦しい生活をして、人々の知らないところで殺されています。またメディアもホームレスの人々が受けている差別について、偏った報道しかしていないように感じます。
このようにしてホームレスの人々は、国からの支援もなく、人々から身に憶えもないのに白い目で見られるという状況にあります。ロケット花火を打たれたり、石を投げられたりということが実際にたくさん起こっています。ホームレスの人は一般の人の三五倍の割合で殴られると言われます。それも軽く殴られるだけでは済まされません。あばら骨が折れるまで蹴られたり、しばらく立てなくなるまで殴られたり、時には殺されてしまうこともあります。何も悪いことはしていない、ただホームレスとして生活しているだけで、あまりにもひどい待遇を受けているのです。
クリストファー・ジェンクス著「ホームレス」にはアメリカのホームレス問題について、このようなことが述べられています。
「ホームレスの表情は往々にして、我々が想像したくない、まして実際に直面したくない絶望の深さを示している。また、ホームレスとの日常的な接触は、他者に対する我々の道徳的な責務について困難かつ究極的には回答不可能な問題を提起する。」
これは日本のホームレス問題に対しても同じことが言えると思います。「ホームレスの人がそこに実在している」その事実が、政府の無力さ、経済社会の欠点、人々の冷淡さ、何より自分の無力さを思い知らされるのです。学校教育やメディアから、無意識のうちに刻み込まれた「日本は平和だ」という思いは、その事実を拒否します。そして人々は「ホームレスなんかいなくなってしまえばいい」と思ってしまうのです。
しかしホームレスの人々はそこにいます。その事実を受け止めなければいけません。更に言えば、私たちは無力ではありません。例えば自分と話をしていた友人がホームレスについて間違った認識をしていたとします。もしあなたが友人と話してその認識を変えることができたなら、とても大きな力が働いたことになります。あなたが道を歩いていてホームレスの人が暴力をふるわれている場面に遭遇したとします。もし警察に連絡して食い止めることができたなら、一人の命を救ったことになるかもしれません。更に、先ほどあなたの話によって考えが変わった友人も同じように人の命を救うことになるかもしれません。このような連鎖によって多くの人々の行動を変えることができます。
また、大谷牧師はこうおっしゃります。
「他人を理解するには、その人と直接会って話してみないといけません。それはホームレスの人々についても同じです。彼らの共通点は『優しい』というところです。なぜなら、ずる賢い人はどんどんお金持ちになっていくからです。優しいから、人が良いからホームレスになってしまうのです。」
私達はどうしても、差別をしたくなります。その事実は仕方のないことではありません。そのようなことを許してしまうから、必ずどこかに苦しむ人々が発生してしまうのです。私達はもしかしたら、現実にいる人のことを知ろうともしないで自分の想像だけで差別してしまっているのかもしれません。たとえ差別をしたくても、ぐっと堪えなければいけません。そしてその人と話してみてください。その人の本当の姿がわかります。自分の考えが変わったら、今度は他の人の考えを変えてください。そのようにして生きていけば、本当に活き活きとした「良い顔」で生きていくことができると思います。
石居和子